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西表島旅行 その2 船浮 [八重山諸島]

前日に石垣島を離れることができない私を尻目に、西表島北部干立地区のイルンティフタデムラに1人で泊まった家内ですが、私は、朝8時石垣港発の離島フェリーで西表島に渡り、ペンションで家内と合流、空海レンタカーで車を借りて(2,500円)、今回は主に秘境を求め島内散策をしました。

先ずは、西表島最西端に位置する船浮です。
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船浮は、隣の白浜集落からは約4km離れていますが、山が険しいため道路が整備されておらず、同じ島内にありながら、船が唯一の交通手段となっています。
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10時55分発の船浮海運の離島フェリーで白浜から約10分で到着。

桟橋でもやいとりをしていたのは、何と!!作業服姿の シンガー 池田 卓さん。

【池田 卓さんのホームページ
http://www.suguru-i.jp/top.html 】

桟橋でびっくりしていると「卓は船浮海運の息子さ~」と親切な地元の方。

地元の方はいつものことなのか無反応、少ない観光客も私たち以外は知らないようで何もなかったように解散。

ある意味、びっくりです。

集落は半径100m以内にまとまっているような小さな村でした。

数軒のお店を外から眺めながら集落の端にある「かまどまの碑」に到着。
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かまどまは船浮に住んでいた美女で、彼女と船浮に赴任した役人との恋物語は民謡「殿様節」として謡われています。

すぐそばに、船浮御嶽と船浮小中学校がありました。
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船浮小中学校は、この地区でも最も小規模な学校と思いますが、おそらく生徒は2人のみ。
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【船浮小中学校のホームページ 
http://painushima.jp/~hunaukiko/ 】

端まで来たので引き返すと「東郷平八郎上陸の地」の看板が目に
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露戦争時代の1904年に東郷平八郎が、船浮に上陸し休息したとのこと。

今でも船浮湾は、多数の係船ブイが設置された避難港であることから、この話にも納得。

後にロシアのバルチック艦隊を撃破し、英雄となります。

次に、集落の中央部に戻り、看板の示す方向へとイダの浜に向かいました。

看板には500mと表示されていましたが、1km以上あったと思います。

山道を登っていくと、途中、昔から飲み水や生活水として使用されていた湧水の「上の川(ウイヌカー)」がありました。
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西表島は、昔から比較的に水には不自由していなかったようですが、昔ながらの雰囲気が伝わってきました。

体力のない私どもがやっとのことでたどり着くとそこには絶景のイダの浜が広がっていました。
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人は誰もおらず、天気も回復して、空と海と浜と緑のコントラストが本当に感動ものでした。

八重山で見たビーチの中でも一番を争うビーチでした。

集落に戻って、ふねっちゃーぬ家で昼食。

【ふねっちゃーぬ家関係ホームページ
http://www.funauki.com/web/ 】

メニューはソーキそば(750円)のみでしたので、それを注文。
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秘境ですが味はまずまずです。

お店の方と雑談すると、
・ 池田 卓さんは親戚。忙しいが家は船浮にあり、久し振りに昨日帰ってきた。
・ イリオモテヤマネコは夜行性のためあまり見ることはできないが、昨日、親戚の畑を荒らし、姿を見せた。
・ 給水塔が整備され、断水することはない。
・ 台風以外にフェリーが欠航することもない。
・ 地デジ化以降テレビもよく写る。
・ 携帯電話もドコモ、AUは問題ない。
・ 皆船を持っていることからも道路を整備して欲しいとは思わない。
など。

帰りフェリーの時間が迫るなか、お店の人にうかがって、イリオモテヤマネコ発見、捕獲の碑へ。
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かまどまの碑の直ぐとなりでしたが、あまりにも目立たず素通りしていました。

1974年に鶏を襲って小屋に入ったところを捕獲されたようですが、山中ではなくこんな海辺にびっくりです。

最後は、琉球真珠養殖場と日本軍の壕を足早に見て、12時50分のフェリーで船浮をあとに。
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約2時間を十分に楽しみました。

なお、出港時のもやい放しは、船長1人でできるようで池田 卓さんは不在でした。
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